刀剣小話

実際の日本刀

   

刀の趣味の目的

 そもそも刀の趣味の目的とはなんでしょうか、やはり刀の良さを楽しむことに尽きると思います。それでは刀の何処を見て、その良さを見分けたらよいのでしょうか。それはやはり、匂い口を見ることだと思います。刃紋の形ではなく、その刃の沸、匂いの状態を鑑賞することが大事です。その状態が美しいものこそ完成度が高いということであり、その完成度は武器としての価値でもあります。なお鑑賞にあたって判断の基準の一つにムラがないことが言えます。つまり部分的に違った部分がない、ということは均一であり弱点が少ないということに繋がるからです。ここに鑑賞の美と実用の美の合一があり、これを楽しむのが鑑賞の楽しみです。

地肌と刃紋の楽しみ方(基本的な3つの地肌)

1、板目 大板目、小板目など (無地風に詰んだ肌は小板目に分類されます。)

2、杢目 綾杉肌(年輪状に大きく顕われた肌)、小杢目など

3、柾目 総柾、柾目など (新刀の鎬肌は柾目)

 地肌の名称は木の木目に例えられ、大まかには三種類に見分けられます。第一には最も基本の板目肌があり、第二には年輪状の形で特徴のある杢目肌があり、第三には珍しい柾目という真直ぐな肌もあります。なお柾目があるかどうかは、どの刀でも注目点です。 地肌に顕われた働き 地沸、地景、と映り、白気映り、地沸映り、水影など 地沸とは刃中にある沸と同質のもので、地肌のほうに顕われたものを指します。地景は黒っぽく見える働きで、地鉄が反応して地肌に顕われたものです。(刃中では金筋となる、硬い部分の地鉄による作用です。) 映りの代表的なものはハバキ元からウッスラとでた備前伝の映りであり、地鉄が柔らかいために地肌に白く霞がかって顕われたものを言います。簡単には霞がかった働きを映りと称しております。総じて地景と映りは対象的な働きと言えます。白気映りは関伝など美濃物に多く顕われた、白けた映りの一種です。地沸映りは地沸が霞がかって見えるものです。水影は国広一門など慶長新刀にでるものが多く、白気映りに近いものです。(再刃したものにできた映りを指す場合もあります。)

刃紋とは

 

 刃紋はまず最初に直刃と乱刃の二つに分類できます。また基本的な刃紋とは

 

 1、直刃  直刃、湾れ刃、など

 2、乱刃  互の目、丁子刃、互の目丁子、など

その他に真の直刃、涛乱刃(湾れと互の目と丁子の合成)、矢筈刃(丁子刃の一種)など変わった乱れもありますが、基本の刃紋の組み合わせとして見ることができます。

             

匂い口とは

 刃紋を構成しているのは匂い口です。焼き入れされた鉄の結晶構造であるマルチンサイトが光りに反射して観察できる、鑑賞の根幹をなす部分です。その出来口は、大まかには匂い出来と沸出来の二つに分けられます。なお小沸出来はこの中間であり、新刀以降の多くの刀はこの小沸出来です。匂い出来のマルチンサイトの大きさは特に小さく為にほとんど肉眼では確認できず、集合体として観察することになります。その結果、匂いは総じてシャープペンで書いた線のような締まった光として見え、沸は深く明るく沈み込んだ光として見えます。どちらが良いということはありませんが、好みがでる部分です。ただ注意して頂きたいのは、ムラがあったり染みたり滲んだ匂い口は出来が良いとは言えないということです。日本刀の刃部をこのような箇所から観察して頂くのが、刀を楽しむ一助になるかと思います。今後、日本刀を鑑賞する際は、予備知識として頭の片隅に入れて頂ければ幸いです。

                
                

中心の見方(基本的な用語に関して)

             

 1、中心仕立て(肉置きなど)

 一般に名工ほど中心仕立ては上手で肉置きも良く、手持ちに優れます。ただ形式としては、時代が若いほど丁寧で綺麗になる傾向があります。つまり中心とは手持ちの良さが一番大事なことですが、刀剣の価値や偽物防止にも密接な関係があります。例えば、津田助広などに代表される美しい化粧ヤスリが使われるようになったのも刀剣の美術性が最も高く評価されたと言われる新刀前期の寛永頃からとなっております。

 2、中心の形状を見るポイント 錆

 どのような錆色か観察して下さい。チョコレート色の沈んだ錆色が基準です。 目釘穴 どんな場所にどのような目釘穴が空いているでしょうか。 鎬 上部の刀身の鎬まで目で辿ってみて下さい。 中心尻の各種 (主に流派ごとの特徴と言えます。) 基本は栗尻や剣形、片山形など、特殊な中心に雉子股や卒塔婆、タナゴ腹等があります。

 3、銘の種類

 刃を下にして佩用した際に、相手方から見える側に銘を切ったものを太刀銘、逆に刃を上にして佩用した際に相手方から見える側に銘を切ったものを刀銘と言います。 添え銘は、刀工銘以外の年紀や注文者の名などを作刀した刀工自身が切ったものです。 裁断銘は切れ味に関するものを象嵌や切り付けで残してあるものです。新刀期は金象嵌や銀象嵌など象嵌が多いですが、新々刀期はほとんど切り付け銘です。  なお銘がないものは無銘であり、割合で言いますと刀の多くが無銘と言われております。その他に、折り返し銘や額銘などがあり、額銘は無銘に近いものとして扱われます。

 4、磨上げ

 磨上げと言う、刀の長さを下から詰めた仕立てがあります。長寸の刀を実用上、大事に使い続けるために掟通りの方法で加工されました。銘がなくなるまで磨上げられたものを大磨上げと言います。磨上げますと中心の踏ん張り(刃区付近の張り)がなくなり、姿も変わって参ります。それでも少しでも元の中心を残して加工することが大事です。次に中心仕立てに用いられる重要な道具、ヤスリについて補足させて頂きます。 日本古来の和ヤスリ(和ヤスリ)と現代のヤスリ(機械ヤスリ)の違い 明治末期から手製の和ヤスリが使われなくなり、現在に至るまで機械製のヤスリによって中心仕立てが行なわれております。これが所謂、機械ヤスリであり、以前の手製の和ヤスリは現在ではまず見ることはできません。機械ヤスリと和ヤスリの大きな違いは、機械ヤスリ目には刀工による違いがほとんどないことです。現代刀工でも各人、流派ごとにヤスリのかけ方は違っていますので区別はできますが、ヤスリ目の違いは微妙です。その原因は、ヤスリ自体の製作方法が手製の和ヤスリと違って機械製となっているせいです。その結果同じものを入手することも容易であり、偽造防止も困難です。その為、昭和初期の関の刀などでは、刻印を使うことで追加的に製作元を明らかにしておりました。

                    
                    

匂いと沸の鑑別

 刃紋と地との境界を刃縁と言い、ここに匂い口が顕われます。匂い口の鑑賞は刀の楽しみの多くを占め、大別すると匂い口には、「沸出来」のものと「匂出来」のものがあります。これはマルチンサイトと呼ばれる鋼の組織を指し、粒子の大きさは異なりますが同じ組織です。つまり、焼き入れの方法や鍛えによって粒子の大きさが変化し、沸になったり、匂になったりします。他には焼き入れの温度、冷却速度などの違いによっても違ってきます。沸はマルテンサイトの組織の粒子が荒いので概ね肉眼で判別できますが、匂は粒子が細かいので一粒一粒の粒子を肉眼で判別することは困難です。

 例に出される話では、「夜空に輝く星のように煌めく光は沸であり、天ノ川のように霞んでほのかに見えるものが匂いである」と言われます。 ただ、ほとんどの刃紋は沸と匂が混在しており、沸が多ければ沸出来、匂いが多ければ匂い出来とされます。その中間が小沸出来です。なお、沸や匂いの粒がハッキリとしていることを「沸が深い」と表現し、匂出来でくっきりと締まっていることを「締まる」と表現します。この中間にあたるウドンのような幅の匂い口を「フックラ」と表現しております。 なお、マルテンサイトはその硬度が高いことと、粒子が切断面と刀身の摩擦を緩和することによって日本刀の斬味に大きく寄与しております。すなわち粒子の大きい沸は、硬く良く斬れますが寒さなどに対してもろさがあり、粒子が小さい匂いには柔軟性があります。

 一般には備前伝と美濃伝は匂い出来、相州伝と大和伝は沸出来、山城伝は小沸出来とされております。しかし実際には馬上の高級武士の為に作られた傾向が強い古刀は耐久性が重視されて匂い出来が多く、護身用や権威の象徴としての傾向が強い新刀以降は沸出来が多いです。中間の小沸出来はバランスをとっており、戦国時代は多くが小沸出来となっております。

            

高位高作の刀工について

 日本刀には1000年に及ぶ歴史があり、その歴史の中で多くの名工達が生まれました。その中でも高い名声、高い人気を誇る刀工がいます。高位高作の名工、いわゆる有名刀工です。ではまず、その名前を簡単に挙げてみましょう。

平安時代 天国 光世 宗近 友成 安綱
鎌倉時代 藤四郎吉光 綾小路定利 来国行 来国俊 来国光
千手院 当麻国行 尻懸則長   新藤五国光 行光  志津兼氏
一文字則房 吉房 助吉 助光 長船光忠 長光 景光 真長 近景 畠田守家 雲生 雲次
則重  左  延寿国村
南北朝時代 来国次 信国 長谷部国信 広光 秋広 直江志津 長船兼光 元重 長義 青江次直
室町時代 信国 村正 孫六兼元 和泉守兼定 長船盛光 康光 勝光 忠光 祐定 清光
江戸時代前期 堀川国広 伊賀守金道 越中守正俊 和泉守国貞 河内守国助
越前守助広 近江守助直 井上真改 一竿子忠綱 多々良長幸 相模守政常
繁慶 虎徹 大和守安定 初代国包 三善長道 康継 加州兼若
肥後守輝広 南紀重国 信国重包 福岡守次 肥前初代忠吉 二代忠広 陸奥守忠吉
一平安代 主水正正清
江戸後期 水心子正秀 直胤 細川正義 手柄山正繁 長運斎綱俊 固山宗次 石堂是一 源清麿  栗原信秀 会津兼定 徳勝 月山貞一 左行秀 八代忠吉 大和守元平 伯耆守正幸

 さて、室町時代以降はすべて数多くの実作があると言っていいのですが、南北朝時代以前は五ヶ伝本国でも極少数の実作しかない人が沢山います。それは山城国では来一門以外のすべての刀工、大和国ではほとんどが無銘で、相模国ではすべての刀工が、また美濃国も相模国同様です。極論すれば備前国以外は作刀が相当に少なかった、または使われて残らなかったと言えます。さらに天国、光世、宗近、長円、等にいたってはほとんど存在が神話じみています。

 これらのように多くの名工がいますが、実際の刀では平安時代から南北朝時代までの刀で原型が残されて(オリジナルとして)現存するものは想像以上に少ないと言わざるを得ません。この時期は世界的に見れば中世前期に当たり、この時期のものが現存しているだけで奇跡的なことです。室町中期(永正頃)まで時代が下がれば我々も比較的に手に取って見れる機会がありそうですが、鎌倉時代や南北朝時代の刀でまともなものはほとんど国宝、重要文化財になっており、そうそう見ることはできません。

 さらに平安時代にはそもそも刀(太刀)の中心に銘を切る習慣自体があったかさえ定かではありません。在銘で最古と確実に言えるものは鎌倉初期の安綱と考えられ、古代の記録によくある帳尻合わせの時代の吊り上げが行われた可能性が高いです。同じく平安時代とされる友成も嘉禎紀のもの(鍛冶平に改竄された)があり、事実としてその時期の刀工と考えられます。鎌倉時代以前では刀を持っているだけで特権階級の証になりますので銘字の必要性は少なそうです。他の工芸品も併せて考えれば、銘を入れることは職人が己が名を残すために、ひいては偽物防止の為です。刀工の地位が確立したと考えられる鎌倉時代初期までは比較的、必要がなかったことでしょう。また室町時代には武士の形が定まってきたので足利氏が一献と言う礼式を定め、贈答による社交制度がはじまります。これに刀が多く用いられることで刀の価値も大になり作者の証明として銘が尊重され刀工の銘も長銘を切り、入念作で無銘はほとんどなくなったことでしょう。

 その後、戦国時代や江戸時代の刀では人気刀工は工房制をとった場合が多いので前時代に比べれば割合にその作刀を見ることがでます。しかも工房制ですと品質が安定しますので、出来不出来が少なく平均した良い品質です。信頼できる武器としても大変な人気があったことと思います。このタイプの刀工はなんと言ってもやはり古刀では長船祐定、新刀では肥前忠吉です。尚、一人鍛冶は作品が少なく注文に応じて作っていたようですから、実験的な作刀があったりなど作風にはいろいろな変化があるようです。出気不出来の平均の水準という点では刀工の性格に依るところが多いようです。中には切れ味や広告ばかりに力を入れて、一人鍛冶にしては数多く作刀して成功した刀工もいるようです。

日本刀の真偽について壱 (ヤスリ)

 真偽は日本刀発祥以来の武器としての品質と、財産や文化財としての価値の根本に関わる問題です。大宝律令では中心に銘を切るように刀工に命じており、古くは平安時代から、そして現在まで偽物は造られ続けております。日本刀発明時には銘を切る必要もないほど作刀は限られておりましたが、平安時代も末期には偽物が横行してきたと見え、銘を切る必要性がでてきたようです(鎌倉時代の古書に、延寿は来に見紛うと書かれていたそうです)。しかし日本刀の価値が高まることに比例して偽物も増える一方でした。そこで、鎌倉時代では銘を切るだけでは真偽をはっきりさせるには不十分という結論になったのでしょう。中心仕立てに気が配られて、ヤスリによって丁寧に仕立てられるようになりました。

 ヤスリにより加工は時代が経つほど丁寧になり、新刀ではさらに化粧ヤスリも施されるようになり、幕末にその技術は最高峰まで高められました。まさに中心仕立てだけをとっても最先端の工作技術と言ってよく、中心もまた鑑賞の対象であることを示しております。当然、最高峰の刀工であった有名刀工達は中心仕立ても最高の技術でもって製作し、本物の刀の中心仕立ては技量不足による所作は一切ありません(乱れたヤスリや、よれたヤスリなど)。尚且つ、各刀工は自作のヤスリを使うため、それぞれのヤスリは必ず異なっております。各一門によってなど、刀工集団ごとの類似性はありますが、ヤスリ目で刀工を分類できるほどヤスリ目に特徴があり、真偽のおおきな証拠となっております。つまり銘の良し悪しだけでは、真偽の判断に不十分です。せっかくですから、先人が残してくれたヤスリ目を見るという知恵を使って刀を鑑賞して頂ければ幸いです。

             
             

良い刀と悪い刀

良い刀と悪い刀との違いでとはなんでしょうか。参考に私の見解を述べます。 まず最初に悪い刀かどうか考えます。まず第一に偽銘でない事が最も重要です。 次に良い刀になるかどうかは刀の出来が問題になります。出来は様々な方に様々な見方がございますが、私が考える観点は匂い口に大きなムラがあるかどうかです。ではなぜムラがあると良くないのでしょうか。それはムラがあるということはその部分が他の場所と鉄の粒子に違いがあるということのになるからです。そうなりますと強い負荷や衝撃がかった場合、そこから破損する可能性があると考えられるからです。刀は実用を考えて作られた物です。多くの刀は現在は実用に供することはできない文化財ですがその基準でかつて作られてきた以上、その観点で判断するのが妥当であると考えます。

                     

真贋の実態

日本刀の偽物が実際にはどの位の比率になっているのかご存じでしょうか?一流刀工の偽物率は99%、二流刀工は70%。三流刀工は50%、一般刀工は30%と言われます。適当に選ぶと一説には確率的に三分の一が偽物になると言われます。日本刀は美術品ですので偽物が多くなるのは当然ですが、他の美術品よりはるかに鑑定が発達しておりますのでむしろ偽物は少ないほうです。刀は鉄の芸術なので作刀自体が極めて困難であることと、本阿弥家が数百年かけて鑑定を順序立てて体系化されていることがあります。なお体系化されているのは刃紋を中心とした匂い口に関してと、ヤスリ目と銘字に関してです。体系化されたものは難しいので、まずは刀の出来と中心の錆色を覚えて頂くのが第一となります。これさえ分かれば偽物の8割に気付けます。その意味では錆色で分かる末古刀と新刀が一番の勉強になりますので、こちらから始めていって頂くのが近道となるかと思います。

 

古名刀の実体 ~写し物から見る~

美術品でも何であっても物作りは最初は模倣から始まります。刀であっても模倣、すなわち写し物が必要とされてきました。そして、その写し物の対象は時代の移り変わりによって変わってきました。その理由は時代の必要性から、人気の高さなどからなっています。写し物といってもコピーではなく作風が近いというだけで、各刀工の技術や創意工夫によって個性があり、逆に写し物が本歌を超える物も少なくありません。特に本歌の古名刀は一部の高級武士の為に作られたものであるので数がありません。さらに損傷により廃物になるものや研磨により出来が変化します。そのせいで写し物が本歌に成り代わってしまうことが多々ありました。無銘に至っては刀身の出来しか根拠がありませんので、成り代わりは容易です。それでは、最後に具体的な例をご覧下さい。 一文字    新刀は河内守國助、備中守康広や常光などの石堂一門などで、新々刀では運寿是一や細川正義、大慶直胤など、現代刀では杉田善昭などです。 来一門 なお信國や延寿、新藤五吉光なども来一門とされます。作風は、すっきりとした直刃で沸映りがあります。来國光などが人気で、古刀の之定や忠光などの末備前、新刀では初代忠吉や南紀重國、新々刀では大慶直胤や十一代兼定などが有名です。 正宗   秋広などは実作が辛うじてありますが、正宗はほぼ実体がないので、本阿弥家の意向と各刀工の想像によります。堀川國広や越前康継、大与五國重の他、正清や正良など薩摩刀工や大慶直胤、月山貞吉などが知られます。 志津兼氏 村正など関系の刀工と虎徹や清麿など美濃伝を取り入れている刀工の多くが目標としています。   越前守助広  新刀の越後守包貞などは助広に迫り、新々刀では水心子正秀や尾崎助隆、現代刀工では榎本貞吉や小川兼圀などです。涛乱刃自体に人気がありといえます。   源清麿   宗勉や谷川盛吉の他、宮入一門が得意としております。

現代刀のヤスリ(機械ヤスリ)

 以下は昭和初期に造られた刀の中心です。明治末期から手製のヤスリが使われなくなり、以下の様な機械製のヤスリによって中心仕立てが行なわれる様になります。これが所謂、機械ヤスリであり、以前の手製の和ヤスリは現在ではまず見ることはできません。上下を比較してみて下さい、ヤスリのかけ方は違っていますので区別できますが、ヤスリ目の違いは微妙です。さらに手製ではなく機械製ですので、同じものを入手することもかつてより容易になっています。また関の刻印は、追加的に製作元を明らかにする意味があったようです。

日本刀の科学編

鉄の鍛錬の秘伝

現在では私達に身近な金属である鉄は精錬技術が低い古代では悪金と呼ばれあまり使われることはありませんでした。その後、技術の向上とともに、他の金属と混ぜて合金とするなどして目的に応じた硬さにすることで様々な場所で使われるようになりました。特に日本刀においては加熱と冷却の高度な組み合わせによって硬さを調整しています。鉄の強度は炭素を含む量で決まります。自動車用材料で0.05%、船や橋の材料で0.1%程度であり、日本刀では芯金は0.3%、刃鉄は0.8%程度で焼き入れをします。非常に微量ですが、例えば工業用の鋼であっても0.04から1%の炭素含有量で調整されております。つまり銑鉄の状態では、3から5%の炭素が含まれており、硬いのですが脆いので実用になりません。そこで踏鞴(工業用では転炉に相当)と呼ばれる炉の表面から炭素を吹き込んで二酸化炭素にして炭素を取り出しております。そこで出来た玉鋼は炭素量1から1.5%の鋼とまりさらに鍛錬され、前述の炭素含有量となります。 なお鍛錬とは何かご存知でしょうか?実は鋼の強さを上げる為に、鉄の結晶を小さくする工程なのです。通常、金属材料は無数の結晶が集まってできていますが、圧延などの加工と熱処理を組み合わすことでこれを小さくでき、しかも粘りをあまり失わずに強度を上げることができます。これが鉄の理想的な強化法であり、千年前から行われている日本刀の鍛錬の技術です。 (日刊工業新聞社「モノ知り学ノススメ」p. 114より一部引用) 

炭素と鉄の硬さの関係とは

炭素含有量を増やすと鉄が硬くなる理由は鉄の結晶構造にあります。 鉄は900℃以下ではサイコロ状の角とその中心に球状の鉄原子が並んだ体心立法晶構造をしています(原子9個の結晶)。900から1400℃では結晶構造が変化し、サイコロ状の角とさらに面の中央にも鉄原子が位置するようになり面心立方晶となります。そして、この中に炭素原子を入れようとすると粗い体心立法の方が密な面心立方晶より入りそうですが、実際は面心立方晶(900℃以上)の方が炭素原子をより多く収められるようになっており、体心立法晶(900℃以下)は隙間が小さく炭素原子が入りにくくなっております。そして焼き入れとは、鉄を900℃以上に加熱して炭素を結晶中に取り込んだ後、水に入れて温度を急激に下げると、鉄結晶が面心から体心に変化します。その際、炭素は鉄結晶に無理に詰め込まれた状態となり、まわりの結晶を歪ませ、硬い組織(マルチンサイト)が作られます。このような現象を焼入硬化といい、処理の事を焼き入れと呼んでいるわけです。           (日刊工業新聞社「モノ知り学ノススメ」p. 114より一部引用) 

補足 焼き戻しについて

焼き入れ後の処置として、再度温度を上げると鉄に粘りが出ます。焼き入れた時に炭素原子は体心立法中に強制的に溶け込んだ状態であり、これを再度加熱しますと鉄原子3個と炭素原子1個が結合した酸化物であるセメンタイトを形成します。加熱によって閉じ込められた炭素が消費され、硬さは減少しますが結合力が高まり粘りが増します。このような現象を利用した処置を焼き戻しと呼んでいます。日本刀では大太刀など長大な寸法の刀や槍などの他、末関など実用本位の刀の中では、時に折れるのを危惧して焼き戻しを行っております。 なお当然ながら再刃も再度の焼き入れですので、焼き戻しと同様の状態になりますが、作者が再度焼き入れしたものが焼き戻しで、後世に別の刀工が焼き入れしたものを再刃と呼んでいます。

日本刀の代表的作者の作品から鑑定の基準を定めましょう

 正宗や村正が世間では有名ですが日本刀を代表する真の名工は次の刀工達です。 いずれも作刀も当時の最高水準であり当時の高級武士から支持された名工です。 各時代の代表的な姿や出来であり、新たな鑑賞の対象となる刀と比較して違いを把握することが鑑定の一助となります。このような刀を基準として、各観点から健全度を比較しています。なお姿の改変が一番注目すべきポイントです。

1、<古刀期代表>長船一派(例、長船家守)

応永初期 地鉄は板目に杢交じって乱れ映りあり、小互の目乱れ。腰反り強く(中心の反りも強い)身幅尋常にて重ね厚く、しっかりとした体配です。作風は何処も過ぎた所がない品位の高い作刀です。中心の鎬筋が刀身まですっきりと通り、元の姿がほぼ残されていることが分かります。典型的な太刀姿、太刀拵に入れ佩用する用途を主眼に作られた、騎馬武者の刀です。

2、<新刀期代表>近江大掾忠広

江戸前期 小糠肌、帯状の匂い口で乱れの谷に沸。丁子。 三代陸奥守の代作、鍋島家の伝来と言われております(すこぶる健全です)。斬れ味はもちろん、姿、刃紋すべて洗練された、登城の際の大小二本差しの刀です。加工の難しさから鑑み、健全さの判別は刃区より棟区に重点を置いて下さい。まずは、ハバキの上下部分の重ねの違いで判別するのが簡単です。

3、<新々刀期代表>固山宗次

江戸末期  練れた強い肌、大房の相互の目丁子。 新々刀に多い無地風ではない特注の作です(巧みな鍛えの組合せに依る)。帽子は古刀と同じく乱れ込んで、体配は幕末の豪壮な強い姿です。研ぎだまりの重ねから切先の重ねへと厚みを観察し、バランスを確認する事でこちらの点でも健全度を測ることができます。作風は古風な兼房乱れを主調にしながら、足が長くなる特徴的な乱れ刃であり、くしの歯風の慶応頃に宗次が得意とした刃紋となっております。つまり古刀を目指すとういう実用的な作風ながら個性を表わし、美術的な力強さを感じさせます。勤皇刀などと同じく、武将が士気を鼓舞する覇気のある作刀です。